北前船寄港地
岡山市西大寺
北前船とは
北前船は商品を売買しながら
大阪と北海道を結んだ経済動脈
北前船は、江戸時代から明治時代にかけて日本海沿岸を行き来した大型商船で、北海道から大阪までの物資を運び、地域間の交流と経済の発展に大きく貢献しました。
この船によって日本各地の文化や風習が広まり、今日の日本文化の一部を形成したと言われています。
現在では、その歴史と航路が日本遺産として認められ、ロマンあふれるスポットとしても注目されています。
北前船のゆかりの地
岡山市西大寺
岡山市西大寺は高野山真言宗別格本山金陵山西大寺(観音院)の
門前みなとまちとして発展してきました。
この地を巡ると、当時の姿に思いを馳せることができます。
内陸地域との物流拠点
海と川の水上交通の
中継地として発展
吉井川の高瀬舟により内陸地域との物資が流通する河港と
瀬戸内海沿岸のほか北前船の寄港地として、全国各地から物資が集まる内海の港町として発展しました。
周辺の生産物は当町(西大寺)の港を経て、各地に輸送され、昆布や搾粕、鰊肥、その他日用物資は当地に移入されて、備前・美作の吉井川流域地区に供給されました。
次第に、農産物・日用品の問屋も多くなり、商業地として発展しました。
多文化交流の拠点
高野山真言宗別格本山金陵山
西大寺(観音院)
1250年の歴史を持ち、古くから人々の厚い信仰を集めている観音院境内に開かれた市場から北前船の寄港地として繁栄し、多くの商人や旅人で賑わいました。
これにより、観音院は他地域からの影響を受け、多様な文化が交わる場となりました。
境内には、石門、仁王門、三重塔など多くの古建築が並び、観音信仰の中心地として今日も多くの参拝者が訪れます。
500年以上続く天下の奇祭
西大寺会陽
「国の重要無形民俗文化財」に指定されており、全国的に有名な西大寺会陽(はだか祭り)。
厳冬の深夜、西大寺観音院の本堂 御福窓(ごふくまど)から投下される2本の宝木(しんぎ)をめぐって、約10,000人のまわしを締めた裸の男たちが激しい争奪戦を繰り広げます。
その様子は圧巻で勇壮そのもの。この宝木を取った者は、福男と呼ばれ、福が得られると言われています。
日本遺産
「荒波を越えた男たちの夢が
紡いだ異空間
北前船寄港地・船主集落」
の構成文化財
荒波を越えた男たちの夢が紡いだ異空間
北前船寄港地・船主集落に追加認定された構成文化財のご紹介をいたします。
構成文化財エリアマップ
構成文化財一覧
一
金陵山西大寺
北前船の拠点港であった兵庫随一の廻船問屋 北風家が祝主を務めた金陵山西大寺会陽が開催されている寺院
岡山市指定文化財(本堂)
二
西大寺会陽
北前船の拠点港であった兵庫随一の廻船問屋である北風家が祝主を務めた祭り
国の重要無形民俗文化財
三
金陵山西大寺観音院
狩野永朝絵馬会陽図
北前船の拠点港であった兵庫随一の廻船問屋 北風家が祝主を務めた西大寺会陽が描かれた
絵図
岡山市指定文化財(絵画)
四
歌川国芳画備前金陵山
西大寺會陽之図
北前船の拠点港であった兵庫随一の廻船問屋 北風家が祝主を務めた西大寺会陽と各地の北前船寄港地の船が描かれた絵図
五
備前金陵山西大寺
會陽之図
北前船の拠点港であった兵庫随一の廻船問屋 北風家が祝主を務めた西大寺会陽と弁財船や高瀬舟が描かれた絵図
六
宝来春
西大寺会陽に合わせてふるまわれる、昆布を使った澄まし雑煮
七
弁財船 模型
北前船の拠点港であった兵庫随一の廻船問屋 北風家と取引をしていた丸野幸吉郎が船主を務めた金幸丸の弁財船模型
八
船箪笥(ふなだんす)
舟運に使われ、当地に残る箪笥。西大寺文化資料館所蔵
九
引札
北前船が描かれた、当地の清酒醸造元の引札
十
船名額
当地の廻船問屋が所有していた廻船の船名を記した額
日本遺産認定ポスター
西大寺が北前船寄港地として日本遺産認定されたことを記念し、
ポスター(A2版)を作成しました。
下記よりダウンロードいただき、
広報活動などにご協力いただけますと幸いです。